Kyoto Bisho

昔のモノ、今のコト

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歴史

ノリタケは、1876年(明治9)、森村市左衛門と弟の豊(とよ)が海外貿易を志し、東京銀座4丁目に設立した森村組に始まります。

市左衛門は、1858(安政5)年、日米修好通商条約批准のために派遣される幕府使節団がアメリカで使用する通貨の換金を引き受けた際、貨幣の交換レートが悪く日本の小判(金)が安く買われて外国へ流出していることを知りました。日本の将来を危惧した市左衛門が福沢諭吉へ訴えたところ、貿易で取り戻すしかないとの助言を受けたのでした。

豊は、1878年(明治11)、ニューヨーク6番街に日本製品の販売店、日の出商会モリムラブラザーズ(1881年よりモリムラブラザーズに社名変更)を設立します。この頃、欧米では、1867年(慶応3)のパリ万博に江戸幕府、薩摩藩、佐賀藩が初出品した約2,000点の浮世絵、陶磁器などの美術工芸品が人気を博し、ジャポニスムと呼ばれる日本ブームが興こっていました。1868年(明治1)に明治政府樹立の後も、美術工芸品の制作・輸出を目的とした会社を設立するなど、政府は海外輸出を奨励する政策を行いました。このような時流を背景に、モリムラブラザーズは躍進を遂げたのです。

モリムラブラザーズは、当初は骨董品や屏風などを扱っていましたが、アメリカで大量販売を見込めるコーヒーカップに目をつけた豊は、自社での製造をはじめることを決意しました。欧米人の需要や流行をいち早くデザインに取り入れるため、アメリカ、ニューヨークに図案部を設置し、製造を日本の森村組に依頼しました。精密な手書きの装飾製品を、比較的安価に販売したことにより人気を博し、欧米での地位を不動のものとしました。また、この当時から鉄道の発達に伴って、モリムラブラザーズの販路も大きく広がりました。見本帳を手にモリムラブラザーズのセールスマンは、鉄道に乗って地方への市場開拓ができるようになったのです。1911年(明治44)、ニューヨークでは、日本の陶磁器を扱う商社が17社ありましたが、モリムラブラザーズは、その取引の3分の2を占めるまでになりました。

ニューヨークからの注文に応えるため、1904年(明治37)、愛知県の則武の地に新たに設立した日本陶器合名会社で素地の製造、森村組が絵付けと輸出を行うこととなりました。
日本陶器は、設立当初から森村組に参加していた市左衛門の義弟である大倉孫兵衛と長男、和親が運営を行いました。やがて日本陶器は素地から絵付けまでを一貫して製造するようになり、1981年(昭和56)にノリタケカンパニーリミテドと社名を変更しました。
森村組は陶磁器以外の物品の輸出入を行なう森村商事株式会社を設立しました。
Noritakeという裏印は日本陶器設立の地である則武に由来し、1908年(明治41)から使われるようになりました。

<草花文花瓶>

ノリタケ デザイン

ニューヨークの図案部では、在米日本人デザイナーが最新のファッションや流行、美術様式を取り入れたデザインを考案しました。

<エジプト風景文皿>
<ビンディッシュ子犬>

ジャポニスムやアール・ヌーヴォー、エジプトの風景を描いたものなど様々な製品がつくられました。
1920年代には、欧米で流行したアール・デコを取り入れた製品に取り組みます。これまで「金盛」「盛上」などの技法を使用した作品を制作していましたが、ラスター彩を使用した新しいデザインの作品は、美しい発色が人気となりました。

当時の海外の流行を敏感に反映し、日本人によって丁寧に作られた作品は、現在ではオールド ノリタケと呼ばれ今も国内外で多くのファンに愛用されています。

<花鳥文角鉢>