Kyoto Bisho

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ヨーロッパ貴族の夢「ポーセリンキャビネット」

マルコポーロにより「東方見聞録」が出版されてから約200年後の1498年、ヴァスコ・ダ・ガマによりヨーロッパからインドへの海上航路が発見され、ポルトガルをはじめスペイン、オランダ、イギリスなどがアジアとの交易にのりだしました。中国や日本の磁器が紹介されると、初めて見る白く美しい姿に虜となったヨーロッパ各国の王侯貴族は競って磁器を収集しました。それは磁器を展示するための「ポーセリンキャビネット」などを設けるほどの熱狂ぶりでした。ポーセリンキャビネットは、王の威光とセンスを誇示する手段だったのです。この流行はフランス、オランダ、イギリス、ドイツへと広がってゆき、日本はオランダ連合東インド会社を通じ300万点もの伊万里焼をヨーロパへ輸出しました。 

ヨーロッパ初の磁器窯

東洋磁器を輸入するために大量の金貨や銀貨を支払い、金・銀が枯渇しはじめたヨーロッパ各国では、自国で磁器製品を生産し名声と富を手に入れるため磁器製法の解明に取り組みました。
最初に硬質磁器の焼成に成功したのはドイツです。東洋磁器の大収集家だったザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト2世(通称アウグスト強王)は、流行していたポーセリンキャビネットの規模をはるかに超えて宮殿そのものを磁器で埋め尽くした「日本宮」をつくったのです。アウグスト強王の情熱は自国での磁器製造にも傾けられました。1710年、磁器開発の成功を国内外に宣言し、マイセンのアルブレヒト城内に王立磁器製作所としてマイセン窯を設立しました。アウグスト強王の壮大な夢を実現したのは化学者チルンハウスと錬金術師ベドガーです。1675年にチルンハウスが磁器製造実験に着手してから約35年もの月日が流れていました。様々な苦労の末ようやく解明することができた磁器製法は秘法として厳重に情報管理されましたが、9年後にはウイーンに秘法が流れ、半世紀も経たないうちにヨーロッパ中に磁器製法が知れることとなりました。

<ペキニーズ置物>

マイセン窯の発展に大いに貢献をしたのは1720年ウイーンからきたヘロルトと約10年後にマイセン窯に参加した彫刻家ケンドラーです。
マイセン窯で当初つくられたのは赤色炻器や黄みがかった白色磁器で、中国や日本の色絵磁器とは程遠いものでした。ヘロルトは10年かけて16色の新しい上絵の具を作り出しました。ヨーロッパの人々の心をとらえていた大航海時代の旅行記に想像で描かれていたムーア人やアラビア人、中国人といった異国人の挿絵を独自の色鮮やかな細密画風に描き人気となりました。
ケンドラーは、卓上を飾るための様々な人形をつくりました。宮廷で生活する貴族や女官の恋愛遊戯を写したものや、農民や職人、羊飼いなど大衆の暮らしを表現しました。18世紀は大広間の生活から個人専用の隠れ家的な空間が生まれ、小間の飾りとしてマイセン人形が好まれました。

<唐人文カップ&ソーサー>
<人物文透かし鉢>
<キューピット>
<トランプ占い>

もう一人のフリードリヒ

ドイツには磁器開発に尽力した人物がもう一人いました。プロイセン王フリードリヒ2世です。マイセン窯で磁器焼成に成功した錬金術師ベドガーは、フリードリヒ2世の父王フリードリヒ1世の支配から逃れてアウグスト強王にかくまわれていたのです。逃亡した人物が他国に富をもたらすという悲運にあった父の無念を晴らすためにもフリードリヒ2世は磁器製造に人並みならぬ情熱を注ぎました。
1763年、フリードリヒ2世は念願の末にK.P.M.(王立磁器製作所)を創設しました。音楽や美術の素養を持ち、歴史的・文化的著作をのこすほど学問への造詣も深かったフリードリヒ2世は、窯の経済援助のみならず職人の管理、また芸術性の高い作品をつくるため自らデザインを考案するなど磁器製作の指揮をとりました。
窯印には、フリードリヒ2世が授かったブランデンブルク選帝侯の紋章であるセプタ(笏 しゃく)を用いました。これは王家の伝統を表すものです。夏の離宮であるサン・スーシー宮殿などで用いるディナーセットをK.P.M.の製品にするなど、K.P.M.という名が世で広く愛されるために力を尽くしました。

K.P.M.

この陶板画は 、一人のコレクターが生涯をかけ美術館を建てる為に収集した超一級品の中のひとつです。 絵付けはその当時、ヨーロッパの多くの窯元から引き合いのあった トップペインター「ワグナー」によるものです。透明感のある肌はまるで真珠のように美しく、吸い込まれるような神秘的な瞳、髪や衣服の表現など、陶板画の中でも最高レベルの美しい仕上がりです。また、K.P.M.の胸像画の中でもこれほど大きな作品は大変希少です。
K.P.M.は本来、王室での使用または外交用贈答品に限定して制作されました。陶工はもとより材料の胎土から絵具にいたるまで当時の最高レベルのものを惜しみなく使用しており民間の窯とは一線を隔しています。17・18世紀の古典的名画を模写した陶板画は特に有名です。単色の濃淡を表現し得るのはK.P.M.の高度な技術によるもので、透き通る瞳、しっとりとした肌の色に絵画では表現し得ない陶板画のすばらしさを感じることができます。