Kyoto Bisho

昔のモノ、今のコト

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ドーム

ガレやドームが活躍した都市ナンシーは、パリから東へ約300キロ、現在はパリから特急で約2時間40分の距離に位置します。ナンシーのあるアルザス・ロレーヌ地方はヴォージュ山脈に囲まれ、モーゼル川やライン川の支流のムルト川が流れる自然豊かな地域です。地下資源が豊富なため古くから重工業が発達しましたが、ガラスや陶器、家具、金属細工といった工芸品も盛んでした。
1870年、フランスは普仏戦争に敗戦し、ドイツ国境に接するアルザスとロレーヌ地方の一部をドイツに割譲することを余儀なくされました。このため多くのブルジョワたちがフランス側のナンシーへ移住し、新たな事業を展開しました。ナンシーの人口は増加し、市街地には邸宅が新築され、公園などの整備も行われました。
ドーム家もビッチからナンシーへ移住して来ました。公証人をしていたジャン・ドームは経営難に陥った知人のガラス工場に融資をしました。ビッチ時代にガラス工場の親方と親交のあったこともあり、ガラス工芸という仕事に好感を持っていたジャンは、債権回収が難しいことを予測しながらも融資を決めたのでした。やはり資金を回収することができず、ジャンは不慣れなガラス工場の経営を行うこととなりました。後に長男のオーギュストは「父の行動を決定する原動力において、情熱は理性に勝った」と回顧しています。
そして、1878年、工場名を「ヴェルリー・ド・ナンシー」と改め、今日のドーム社がスタートしました。

父ジャンの死後、工場を受け継いだのは長男オーギュストと三男アントナンでした。当初はコップや時計用ガラス板で利益を支えていましたが、エミール・ガレの成功を目の当たりにした彼らは、1891年工場内に芸術部門「アトリエ・ダール」を設置しました。私たちが今日目にする芸術作品の多くはアトリエ・ダールから生み出されています。

ドーム社では、画家や金工家などと共同制作を行うことで多様な作品を生み出しました。そのため、時代の変化に対応したデザインを常につくり出すことで今日に至っています。ガレが生産コストを無視した新技術開発を行う一方で、ドームは独自の技術開発も行いましたが、エナメル彩など既存の技術を高い水準で作品に施すことを駆使し、繊細で美しい作品を多く制作しました。草花や風景など自然を主題としたアール・ヌーヴォー期の作品は、印象派を思わせるような明朗さがあり、難解な部分がなく誰でもが美しいと思うものばかりです。

<オーギュスト>
<アントナン>
<ナンシー商工会議所>

ヨーロッパの四季

エッチングとエナメル彩を駆使して丁寧に仕上げられた、ドーム社が力を注いだ作品です。工業化してゆく当時の社会において、自然の美しさを再認識させられるという点においても人気のあるシリーズでした。

<冬景色文花器/オランダ風景文花器>

ドームの印象派

ドームが特許を取得した技法「ヴィトリフィカシオン」によってつくりだされる多色の地紋はドームの特徴でもあります。どちらも身近な植物を題材にした印象派を思わせる明るい作品です。りんごの花は春の到来をつげ、ゼラニウムは夏のベランダに欠かせない花です。

<ゼラニウム文杯>
<りんごの花文花瓶>

高度な技術

花の生涯を描いた作者の強い思いを感じさせる作品です。球根の形を表した花瓶に、美しく咲き、そしてしおれていく花の姿が描かれています。ガラスでつくった花の小片を花瓶表面に溶着し、よく溶解させ素地と一体化しグラヴュールで掘り出すといった手間がかけられています。ヴィトリフィカシオンによる多彩で明るい色彩と、しっかりとしたデッサンがドームの作品の特色です。

<クロッカス文花瓶>